戦勝国の意図と違う東京裁判史観、と先に書いた。国体護持の認識は戦勝国側にもあったので、天皇に触らずに被告人のみに罪を負わせようとした。ところがその天皇が「責任の一切は自分にある」とマッカーサーに一命を差し出してしまった。国民は国民で、全員が粛々と戦争の罪を負った。誰も表向きは被告人や天皇に罪を被せようとはしなかった。この反応には戦勝国も驚いたろう。

戦犯赦免もその証左の一つだ。1951年9月のサンフランシスコ条約第11条に東京裁判の被告人取扱条項がある。締結後に戦犯赦免を求める国民運動が高まり、4千万人もの署名が集まった。政府は、社会党や共産党も含めた全会一致の国会決議を経て、同条に基づいて旧連合国に対し全戦犯の赦免・減刑勧告を行った。かくて戦犯は赦免され、刑死者も法務死扱いとなった。

ドイツと日本のこの彼我の差の主因は何か。ニュルンベルグの被告らにあっては、ホロコーストが余りに非人間的で残忍であったためその責任を自らの良心に照らし認めたくなかった、一方、東京裁判の被告人には、戦争目的としての宣戦詔書と行動規範としての軍人勅諭があり、何より畏敬する天皇の赤子としての自覚があったことにある、と私は考える。

1900年、北清事変に向かうドイツ将兵に向けたカイザー・ウィルヘルム二世の勅語しはこうある。「汝らは、我らが受けた非道に対して報復せよ。心に銘記せよ、敵を容赦するな、一人とて捕虜とはせずに汝らの武器を振るえ。ドイツ皇帝の鉄拳を示してやれ」。要するに、皆殺しにしろと言う訳だ。公使ケテラーが義和団に殺されたとは言え、ヒトラーの憎悪同様に異人種や異教徒に対する白人キリスト教徒の本音が滲む。

さて、その東京裁判でインドのパル判事は、膨大な資料分析した上での判決で、戦争は国際法上犯罪でないこと、戦勝国のみが裁く側にいること、事後法に基づくものであること、などを理由に、裁判自体が不当であるとして被告人全員の無罪を主張した。裁判を主催したマッカーサーも、後に米国議会においてあの戦争は日本の自衛戦争であり、東京裁判は間違っていたと証言した。