家計のインフレ期待の処理は更に傲慢さに満ちている。生活意識に関するアンケート調査で問われた家計のインフレ期待は、概ね家計のインフレ体験と連動している(ミシガン大消費者サーベイのインフレ期待がガソリン価格に大きく連動するのも同じ現象である)が、アベノミクス始動後パンデミック前は確かに妙に高く、5%近辺で安定している。5%はともかく、家計にとって帰属家賃の粘着性など知ったことではないから、体感インフレも期待インフレもCPIより高いのは当たり前である。

パンデミック後ではインフレ体感もインフレ期待も10%を超えた。このデータを日銀スタッフは「消費者は物価をよく分かってないから極端な数値を挙げてしまう」と見下していたようで、±5%を超えるような「極端な回答値」を±5%に置き換えた上で平均を取っている。2025年ともなるともはや大半の回答が「極端な回答値」として切り捨てられて+5%に置き換わったのではないか。更に下方バイアスをかけることで、なんと10%を超える生データが、基調的物価に採用される時には1%台のインフレ期待に化けたのである。

こうして1%台後半になった家計のインフレ期待を2%まで大切に育てるということは、生活意識アンケートベースで5年後インフレ予想を12%まで育てる必要があり、そのためには体感25%のインフレを体験してもらう必要があるということだろうか?

もちろん本記事は、だから今から日銀が一転して基調的物価を取り下げ、ビハインド・ザ・カーブになったことを認め、潔く利上げを加速させるだろうとの予想を立てるものではない。ここで述べられているのは全てべき論にすぎない。諸外国のインフレ減速と利下げサイクル入りに伴い円安圧力も弱まって来たし、日銀がそのまま逃げ切れる可能性も低くない。

いずれにしろ、例えば記者会見において「総裁、基調的物価は上がってきましたか」「総裁、基調的物価は2%に近付きましたか」と、あたかも自分達には見えない「正解」を与えてもらう形で神託を伺うような聞き方を繰り返す光景は滑稽ではないか。祭壇の中身は空であることに気付かなければならない。