しかし、ミューラー氏は、冷戦期の平和は核兵器の存在とは無関係だと反論しています。冷戦期において、世界が大戦争の惨禍にまみえなかったのは、核兵器による相互抑止ではなく、それがもはや国家の国政術の選択肢になりえないものになったからだそうです。かつて世界に存在した「決闘」や「奴隷制」が現在において消え去ったのと同じように、大戦争も退化したということです。
先進諸国以外の世界では、いまだに戦争は起こっています。しかしながら、ミューラー氏は、戦争への嫌悪という理念は世界に広がっていく見込みがあり、開発途上国からなる世界は、ヨーロッパと同じ道を歩むだろうと見立てています。要するに、「戦争は人間本性の必然性でもなければ不可避なものでもない。奴隷制や決闘と同じように、それは単なる一つの世界的制度に過ぎず、人間一人一人は戦争なくしても豊かに暮らせる」(同書、264ページ)のです。
戦争退化論の問題
『終末からの退却』は、戦争の不在という「平和」のメカニズムを解明しようとした、意欲的で論争的な研究です。
ミューラー氏の主張が本当に正しければ、人類は野蛮な戦争から解放されつつあることになり、これほど喜ばしいことはないでしょう。ただし、この「戦争退化説」が妥当かどうかは、科学的に検証されなければなりません。
望ましいことと今あることの区別は大切です。あらゆる理論は、その構成が論理的に正しいかどうか、経験的に裏づけられるかどうか、希望的観測を排除して、キチンと検証されなければなりません。わたしが『終末からの退却』を読んで気になったことは、以下の通りです。
・体系的検証の欠如第1に、ミューラー氏が擁護する個人の分析レベルにもとづく「戦争退化説」は、歴史証拠による検証が「あまい」ように思います。かれは同書において、第一次世界大戦後の「国際関係史」を数百ページにわたって綴っていますが、それは戦間期や冷戦期に関する歴史の叙述になっており、政治学の体系的な理論検証にはなっていないといわざるを得ません。言い換えれば、『終末からの退却』の事例研究は、記述的な叙述にとどまっており、分析的な説明には程遠いのです。