江藤は日本人よ、GHQによる精神の支配から自立して「父となれ」と煽るが、それを言うのは本人こそが、自分の転向をアメリカという父親に「強いられたせい」にしたいからだ。戦後に再出発する際、鮫島伝次郎にはなるまいと誓ったはずの初心を、江藤は忘れているとする批判である。 (中 略) 転向なしでは生きられなかった日本人としての過去を、「ごまかすな」と説いてこその江藤淳だったのに、本人が率先して責任を転嫁しているじゃないか。そんな加藤の苛立ちは、95年の評論「敗戦後論」で頂点に達する。
『美術の窓』9月号、74-5頁
という次第である。つまり日本の “自立” と言うとき、憲法・軍備・外交とかばかりが云々されるけど、それ以前に自国の体たらくを「よその国のせいにしない」って態度こそが、第一歩じゃないのかよ!? ってことだ。
この加藤の苛立ちから30年を経て、いま同じ問いは、ぼくらにとってますます深刻である。
2010年に民主党の鳩山政権が基地問題で倒れ、11年に福島第一原発事故が起きてしばらく、対米従属論のブームがあった。要は基地にせよ、原発にせよ、「アメリカのせい」でこうなってるんジャン、というわけだ。
一方、2014年にオール沖縄県政が発足すると、こんな選挙結果は「中国のせい」みたいな話が、自民党の熱烈支持層から飛び出した。もっとも当時はあくまで、まぁテキトーな陰謀論ってありますよね、くらいの扱いだった。
ところが2025年となるや、自分が推さない政党が伸びるのは「ロシアのせいだ!」と、大学教授が真顔で叫び散らしている(笑)。軍事大国とはいえ、米中よりだいぶ格下の国にまで、日本は操られてるみたいっすね。自虐史観なの?(苦笑)