定年退職した高齢者世代は年金暮らしを余儀なくさせられる。しかし同時に、18人のインタビュー記録からも分かるように、その人生で蓄積されたノウハウは、実は隠れた価値の高い遊休資産でもあり、この社会的な有効活用の途を開拓すれば、社会貢献にも転用できる。

もちろんいざ年金受給者となってみると、社会貢献の意欲はあっても、具体的に何をどうしたらいいのか見当がつかないというのが多くの高齢者の実感であろう。かりに社会貢献活動を行うのなら、長年にわたる仕事の経験と磨きあげてきた能力を活かせるテーマに取り組みたい。ただその活動へのきっかけは一人ではみつかりにくいので、集団的に取り組み、自らが参加することで自分を活かせる社会貢献活動の事例を学べば、具体的指針が得やすい。

『老人』と『障害者』の同一視は解消されたか

とはいえほとんどの場合、そこでの高齢者は生きがい援助の対象であり、周りからの支援を必要とするとして位置づけられている。

要するに、高齢者は受け身の存在として前節の高齢者神話が該当するものとして認識識されて久しかった。薄れてはきたが、このステレオタイプの認識の延長線上に、「『老人』と『障害者』の同一視」(パルモア、1990=1995:178)を読み取ることは容易である。

光源としての高齢者

しかし、受け身どころか積極的な人生の実践者としての高齢者も多い。日本全国のたくさんの高齢者とインタビューしてライフヒストリーを把握する一方で、調査票による大量観察をして一番感じられたのは、自分をロウソクの光源としてみると、この光は近くを最も強く照らし出し、遠くにいくほど弱くなるとのべられる高齢者が多かったことである。

この場合もっとも身近なものはもちろん家族である。ところが、徐々に家族と同居できない高齢者が増えてきた。身近なロウソクとして輝き続けたくても、受皿としての家族規模が小さいか、家族とともに住んでいなければ、せっかくの光源が生かされない。加えて、「家族の個人化」を高唱するフェミニズム家族論者がいる。

近隣が高齢者の支えになる