大事なのは、これがネタで済まないことだ。引用を続けると――

気づいてほしいのは、これがジョークでない世界が、生まれていることだ。それも中東やアフガニスタンではなく、日本に住むあなたの、すぐそばに。

多くのSNSでは、アイコンに自分の顔を使う義務はない。リアルで誰とも「対面」せず、仕事も娯楽もすべてSNS経由で享受することにすれば、全員がブルカ着用で暮らしているのと同じことになる。

ところがルッキズムはしぶとい。ようやく「顔で評価される」不自由を免れたと思ったら、今度はフォロワーや「いいね」の数での査定が待っている。

2021年8月のAFP通信より(撮影は17年4月、パキスタンにて)

ここに、オンライン社会の罠があった。動画配信ならまぁ聴覚も入るとはいえ、ネットでつながるかぎり嗅覚・味覚・触覚は遮断され、五感のうち視覚で捉える情報に対してのみ、突出して過敏な人間が作られてしまう。

こうなるとテキストにブルカをかぶせてもダメで、鍵アカウントの「読めない」領域で自分がどう評価されているかまで、気になりすぎてガマンできない人格さえ生まれることは、有名な事件で広く知られるようになった。

じゃあ、どうしたらいいんだろうか。

今回の寄稿の依頼は、2022年に出した『過剰可視化社会』を踏まえてだったけど、同書についてはこれまでもちょくちょく、取材を受けてきた。以下の電子書籍も一例だけど、あえてそちらからヒントを引いてみよう。