著者は、慌ただしさも効率性も欠いた伝統的な日本の生活様式に特別な関心を寄せるあまり、日本の軍事力と工業力の秘密を時折見落としているように思われる。日本人の貧困は、特にアジア全体の生活環境と比較すると、やや誇張されているように思われる。が、全体としてミアーズ氏は、悪意や感傷にとらわれることなく、日本と日本人の優れた姿を描いている。
『アメリカの鏡:日本』
NYTの書評は『亥年』を少々不純な意図から見ているようで、ミアーズが「日本の軍事力と工業力の秘密を時折見落としているように思われる」との指摘もその表れだ。が、この関連でミアーズ本第三章「世界的脅威」は、46年7月1日の米戦略爆撃調査団総括報告27頁の以下の記述を引き、日本に対する脅威は「作られた脅威」だと指摘している。
日本の初期の戦略は、限定目標の戦争を考えたものであった。日本の能力は我々の基本的補給力への攻撃を可能にするものではなかった。日本の潜在工業力は我が国のほぼ10%であった。研究と設計技術は全くの模倣ではないにせよ、新しい分野で信頼性の高い装備を開発する能力は低かった。レーダーと通信施設は貧弱だった。艦船ないし護衛艦を十分建造することはできなかった。飛行場らしい飛行場を作るだけの建設機材を持っていなかった。石油は常時不足していた。
ミアーズは次に硫黄島と沖縄の戦いにも言及、「作戦的にいえば、沖縄の日本人は敵の侵略から祖国を守るために戦っていた」とし、こう続ける。
硫黄島と沖縄のカミカゼは、彼らを征服するために送られた膨大な数の人間にとってのみ脅威だった。「カミカゼ」は「アメリカの安全を脅かして」いたわけではない。この作戦でアメリカを「征服」しようと思っていたわけでもない。アメリカが日本を征服しようとしていたのだ。
これが日本人を「世界で最も軍国主義的な国民」とする米国の論拠であったからこそ、ミアーズは「日本人を侵略的民族と決めつける私たちの理由が余りに曖昧だから、はたと行き詰ってしまうのだ」と述べるのである。