ミアーズ(著者)の関心は、戦争や政治よりも、35年当時の東京に多く存在した小作人、商店主、僅かな農地を無駄にすることなく、屋根の藁葺きから草履や蓑笠、その他様々な用途の材料を見つける農民に向けられている。その描写は、狭い場所で接触しながら暮らす何百万人もの蟻塚の様な生活、衛生状態は原始的だが、互いの関係では入念な礼儀作法が定められて、驚くほど摩擦が少なく暮らしている様子を、新鮮かつ正確に伝えてくれる。

著者は主に古き良き日本について書き、外交官、ジャーナリスト、ビジネスマンのたまり場である帝国ホテルや、外国人居留地でのカクテルパーティーなどにはほとんど触れない。が、明らかに人類学と比較宗教学に興味を持っていて、民俗舞踊や神社参拝、胃の不調を治してと神様の腹を撫でる老婆、全国の狐神社に見られる狐の呪力への広く信じられた信仰などについて、生き生きと色彩豊かに描写している。

これらすべては、アジアで恐るべき敵として浮かび上がる日本というテーマからはかなりかけ離れているように感じられるかもしれない。しかし、日本を訪れる平均的な外国人旅行者よりも常識をはるかに超えた視点を持つ著者の観察は、それ自体が興味深いだけでなく、現在私たちが戦っている人々の心理や生活習慣について有益なヒントを与えてくれる。

著者は1935年、日中戦争による厳しい生活や窮乏がまだ課される前の東京に住んでいた。しかし、著者は典型的な日本の住宅街の商店を巡り、パンや肉、牛乳、バター、コーヒーといったものが全く売られていないことに気付く。「近所の人たちはそのような外国の贅沢品には興味がなく、国民の主食、つまり豆のスープ、シリアル、魚、漬物、味付けは醤油、そしてご馳走は羊羹で満足していた」と記している。

日本の封鎖を検討する上で、日本人が何を食べ、何を惜しむのか、また何を惜しまないのかを知ることは重要である。著者は、日本文明を「条件反射の驚くべき例」と評し、鋭い観察を行っている。習慣や期待によって行動が支配されている民族は確かに少ない。日本人は、何世紀にもわたる経験と訓練によって、全体主義国家の国民に秘密警察や強力なプロパガンダによって強制されるようなことを、自然に行うように訓練されてきたのだ。