これには「表向き」の理由が二つあった。一つは、天皇に批判的な当時の米国世論であり、一つはハルの助言である。出発前日の7月6日、バーンズから電話で相談されたハルは、回顧録に「天皇と支配階級の特権が全て剥奪され、他の全ての人たちと法の下の平等の立場に置かれなければならない」と記している。斯くてグルーの苦心は水泡に帰した。
バーンズはポツダムで別の逆転劇も演出した。発表直前にスターリンを宣言署名者から外し、蒋介石に差し替えたのだ。ソ連が対日参戦していないことが「表向き」の理由だった。「国体の護持」を削った理由も「表向き」と書いたが、真の理由があったからだ。それこそ「原爆を使う前に日本を降伏させない」という、おぞましいが故に決して表には出せない理由である。
宣言にスターリンの名前があると、和平仲介をソ連に託していた日本を絶望させ、原爆投下前に降伏させてしまう懸念があると考えたのだ。原爆開発に関与していたバーンズは「大統領の私的代理」として参画した、原爆使用検討のため45年4月に発足した「暫定委員会」で、「出来るだけ早く日本に原爆を使用」「目標は都市」「事前警告なし」の三項目を含む所謂「バーンズ・プラン」も纏めた。これを基に7月25日、トルーマンは原爆投下命令を発したのである。
以上の多くは傍証だが、バーンズとトルーマンが宣言から「国体の護持」と「スターリンの署名」を削った真の理由は、原爆投下まで日本を降伏させないことにあったと推察できるのである。よって米国はまた、原爆投下後の一刻も早い日本の宣言受諾を望んだことと思う。その傍証が、天皇の大権問題に拘らない8月10日のやり取りに見て取れる。
もし米国が天皇の大権問題を重視するなら、日本の受け入れ条件にある「その宣言が統治者としての天皇陛下の大権を損なういかなる要求も含んでいないと了解して」との文言にもっと拘泥したはずだ。が、米国は11日にバーンズ回答を出し、同じ日に「ポツダム宣言および1945年8月11日の私の声明(バーンズ回答)の完全な受け入れと見做す」と声明して性急に事を進めた。