すなわち、「人間と政治」、「戦争の準備(兵站、軍事組織、訓練、軍事ドクトリン、テクノロジーなど)」、「戦争そのもの(指揮、地理、摩擦、敵など)」が、「戦略パフォーマンス」を定めるということのようです(前掲書、47、53ページ)。

ただし、こうした「百科全書的な」仮説は、反証可能性に乏しい「万能理論」に近いため、全ての事例が仮説に合致してしまいそうです。

その一方で、かれは「戦略的なアイディア」に内包されている仮説の検証が不可能であるともいっています(前掲書、24ページ)。もし、そうであるならば、われわれはグレイ氏の「理論」が正しいかどうかをどうやって知ることができるのでしょうか。

(3)戦略論と国際関係理論の緊張関係

また、グレイ氏はさまざまな国際関係論の研究成果を退けていますが、その反論の仕方が「雑」であるようです。たとえば、かれは国際関係研究について、以下のようなバッサリと切り捨てるような批判を述べています。

「専門分野における深い知識のメリットがどのようなものであれ、とたえば国際関係論の理論についての現代の学術研究…の知識のほとんどは、専門家になろうと思っていない一般の人々にとっては単なる不可解なものでしかあり得ないのだ」

(前掲書、196ページ)

こうした指摘は、知る人ぞ知る難解な高等数学を使った定量的な国際関係研究にあてはまるかもしれませんが、スティーヴン・ウォルト氏の「脅威均衡理論」(『同盟の起源』今井宏平、溝渕正季訳、ミネルヴァ書房、2014年〔原著1987年〕参照)やジョン・ミアシャイマー氏の「攻撃的リアリズム」(『大国政治の悲劇』奥山真司訳、五月書房、2019年〔原著2011年〕参照)といった政策に関連づけられた、日常言語で書かれた研究には該当しないでしょう。

グレイ氏の戦略論の主な特徴は、わたしが読む限りでは、戦略を政策科学と扱っているにもかかわらず、そのアートの側面を重視していること、そして戦略を実践する政治指導者の力量を研究に組み込んでいることにあります。かれはこう言っています。