そんな人の典型として、誰もが知る(架空の)人物がいる。コロナ禍やジャニーズ問題での「メディアの手のひら返し」を扱う、2024年1月の記事で中川淳一郎氏が、「過去の反省よりも正当化に走る「鮫島伝次郎」話法」として紹介していた。

鮫島「わたくし鮫島はすでに太平洋戦争がはじまった時点で このような時代がくることは予期いたしておりました わたくしは戦争反対を強く叫びとおしておりました 日本は戦争をしてはいけないと固く信じていたのです (中 略) しかるに日本の軍部のばかどもは かの偉大なるマッカーサー元帥のいられるアメリカ合衆国とイギリスに戦争をふっかけてしまったのです わたくしは悲しかった 平和の戦士、鮫島伝次郎 胸が張りさける思いでありましたグスン わたくしはだんこ戦争反対に立ち上がり必死でたたかってまいりました 終戦となってやっとわたしの時代がきてくれたとよろこびにたえません」

記事の2頁より 出典は『はだしのゲン』汐文社版5巻

で、「鮫島伝次郎ウォッチャー」としては、ぼくも人後に落ちない自負がある。拙著『江藤淳と加藤典洋』を読んだ、芸術誌『美術の窓』の編集部が、9月号で昭和100年特集をするということで、声をかけてくれた。

江藤淳は60年安保の、加藤典洋は70年安保の、最も誠実な転向者だった。それに学ぶという趣旨で、副題を「なんどもやってくる鮫島伝次郎のために」としつつ、こんな風に書いている。