連合赤軍というように、これは、京浜安保共闘(革命左派)と呼ばれたグループと赤軍派というグループが合体した二階建て構造をした思想集団でした。彼らの思想、生き方の流儀もまた、尊王攘夷派の思想、流儀と同じく、二つのあり方の合体物でした。

ですから、この話を思い浮かべると、私のなかに、1966-67年の新宿のヒッピー文化の「自由ないい加減さ」と1968年以降の「自己否定」とそれに続く絶望的な社会拒否の気分とがよみがえります。 (中 略) 「いい加減であること」が、「どこまでも思いつめるあり方」と隣り合っていた。それが私の学生時代の思想経験の基本構造だった。そのことを忘れてはいけない、と強く思うのです。

141-2頁(算用数字に改定)

自分の思想は一色ではない、二階建てだ、と自覚する人は、「一階を維持するために、二階を改める」といった形で、自己を保ちながら原理主義を卒業できる。ヤバいのは自覚がなく、自分を一階建てだと思い込む人だ。

その種の人は「なぜ私と同じように思いつめない!」と、周りを攻撃する。思いつめ度が「低い」と認定した相手を、非国民とか・革命戦士に非ずとか・ロシアを利するとか言って、「みんなで殴ってコイツを矯正しようぜ!」と煽り始める。

なぜ、学問を修めた「意識の高い人」がネットリンチに加わってしまうのか|Yonaha Jun
8月27日付で、筑波大学は所属する東野篤子教授のTwitter利用に関し、「コンプライアンス違反に該当するような事項は確認することができませんでした」(原文ママ)との回答を、ネットリンチによる被害を訴えていた羽藤由美氏に送付した。
知と理は死んだ 筑波大学の汚点 筑波大学のコンプライアンスは死んでいると言わ...

こうした人は現実の壁にぶつかり、自分の思いつめた独断が周囲を巻き込んで破綻する結末を見るまで、転向できない。ていうか転向しても、今度は新しい時代の別の原理主義にハマるだけなので、行動は改まらない。