広陵高校の甲子園辞退を単なる1つの高校の不祥事で終わらせず、学生スポーツが生まれ変わるための契機としなければならない。そのためには、精神論や個人の資質に頼るのではなく、システムとしての改革が急務だ。

大学や高校、そして各競技団体は、外部の専門家(弁護士、臨床心理士など)を含めたコンプライアンス委員会を設置し、部活動の運営を常に監視する体制を構築すべきだろう。選手が匿名で相談・通報できるホットラインを実効性のある形で運用し、通報があった場合は、チーム関係者から独立した第三者委員会が調査を行うことを徹底する必要がある。

また、指導者にも体罰やハラスメント防止、スポーツ心理学、アンガーマネジメントに関する研修の受講義務化が必要ではないか。過去に暴力などで処分を受けた指導者に対しては、復帰に際してより厳しい基準を設け、安易な現場復帰を許さない仕組みも求められるだろう。

選手自身が「おかしい」と感じた時に、勇気を持って声を上げられる文化を育むことも重要だ。連帯責任といった同調圧力に屈せず、個人の尊厳が守られる環境を作らなければならない。これは一朝一夕で成し遂げられることではないが、今からでも目指さなくてはならない絶対的な目標だ。

さらにファンやメディアも、目先の勝利に一喜一憂するのではなく、そのチームがどのようなプロセスを経て結果を出しているのか、フェアプレーやスポーツマンシップが尊重されているのかという点にもっと関心を向けるべきだろう。SNS時代の今、ファンの厳しい視線が隠れた暴力に対する抑止力にもなり得るからだ。

連帯責任の犠牲となり、夢を断たれた広陵高校の球児たちの悔しさを無駄にしないためにも、未来の選手たちが心からスポーツを楽しめるようにするためにも、学生スポーツは「シゴキ」と呼ばれてきた暴力的指導、時に犯罪として立件される行為と決別し、本来の教育的価値を取り戻す責務を負っていると言えよう。