この一件は、これまで厳しい指導や伝統といった言葉で正当化され、水面下で容認されてきた悪しき慣習が、SNSによって白日の下に晒された象徴的な出来事とも言える。1つのチームの悲劇であると同時に、学生スポーツ界全体に巣食う病巣の深刻さを改めて浮き彫りにした。

忘却の勝利?大津高校サッカー部のケース
広陵高校の決断の一報を耳にした際、筆者は、高校サッカーの最高峰リーグである高円宮杯JFA U-18サッカープレミアリーグ2024ファイナルにおいて、公立高校として初優勝を飾った熊本県立大津高校のことを思い出した。もちろんその功績は称賛に値するが、同校の過去を振り返ると、手放しで喜べない側面が見えてくる。
同校サッカー部では、2024年5月、複数の部員がパチンコ店に出入りしたり飲酒や喫煙をしたりしたことが報道された(出典:朝日新聞)。同年11月、下級生の男子部員が全裸で土下座をさせられ転校を余儀なくされたなどとして、精神的損害を被ったとして上級生2人に対し合わせて440万円の損害賠償を求める訴えを起こした(出典:NHK熊本 NEWS WEB)。
暴力被害に遭った生徒が転校を余儀なくされた点では広陵高校の事案と同じ図式だ。違いを挙げるとすれば、広陵高校のケースでは加害生徒がメンバー入りしていた一方、大津高校の場合は暴行に加担した生徒は選手としてピッチに立つことがなかった点だ。
よってこの大津高校の優勝については何の異論もない。逆にメンバー外の生徒のイジメ行為について「連帯責任」という名の根拠不明な日本独特の悪しき慣習を踏襲させなかったことは、素直に評価したい。しかしながら、生徒側の責任と、学校側・指導者側の責任は別物だと言うことだけはハッキリとさせておきたい。
ここに、学生スポーツが抱える根深い問題の一つが透けて見える。それは、「勝利はすべてを浄化する」という危険な価値観だ。不祥事や問題が発覚しても、その後の大会で目覚ましい結果を残せば、過去は水に流され、指導者の手腕も評価される。組織の体質改善やガバナンスの再構築といったプロセスは後回しにされ、目の前の勝利が優先される。結果として、問題の根本的な原因は温存されたまま、次世代の選手たちへと引き継がれていく。