大津高校のケースが示唆するのは、広陵高校のようにSNSで告発されるといった致命的な発覚がない限り、内部の問題は隠蔽され、勝利という分かりやすい成果によって覆い隠されてしまう現実だ。もちろんU-18サッカープレミアリーグと、国民的関心事の甲子園大会という規模の違いによるところも大きいだろう。しかし大津高校のケースは、問題を正面から向き合わずにやり過ごす「不問の文化」となり、これに続く事件を生み出す土壌となりかねない。

大学スポーツの世界での対照的な2事例
学生スポーツにおける問題は、高校に限った話ではない。大学スポーツの世界では、より深刻な事件が発生し、その後の対応が大きな議論を呼んできた。ここでは対照的な2つの事例を挙げる。
1つは、2007年7月、明治大学応援団リーダー部で「シゴキ」が命を奪うという最悪の結果を招いた悲劇だ。亡くなった当時3年生の部員は、応援団の寮で日常的に上級生から暴力を受け、「下級生は奴隷」といった歪んだ上下関係の中で心身ともに追い詰められ自殺に至った。これを受け、大学側は応援団リーダー部の廃部解散処分を発表した(出典:朝日新聞、読売新聞など)。
大学側が「廃部」という厳しい決断を下したのは、組織が自浄作用を完全に失い、人の命を犠牲にしてまで守るべき伝統など存在しないという当然の結論に至ったからだろう。この事例は、暴力の連鎖を断ち切るためには、時に組織の解体という劇薬も必要であることを示している。
応援団を欠く中でも硬式野球部は、主な活動機会でもある東京六大学野球の2008年春季リーグ優勝を果たし、学生の間では「応援団なんか元から不要だった」と触れ回られる皮肉な結果となった。その後2011年に、自殺した元団員の両親と大学との間で示談が成立したことで、組織の在り方を根本から見直すという誓いの下、事実上の活動再開が認められた。