その結果、この男性の脳では「サリエンスネットワーク」と呼ばれる回路が異常に大きく広がっていることがわかりました。
サリエンスネットワークとは、平たく言えば「何が大事か」に注意を向ける脳の回路で、本来は限られた領域にあるものです。
それが彼の場合は通常の約4倍もの広さにまで肥大化し、脳の前頭葉の広い範囲を占拠していました。
そのせいで、本来なら感情や思考を司る他のネットワーク(デフォルトモードネットワークや前頭頭頂ネットワーク)が圧迫され、小さく縮こまってしまっていました。
研究チームは、このような脳内ネットワークのアンバランスこそが彼のうつ病を引き起こす要因ではないかと考えました。
そこで、異常に広がったネットワークに対応する脳の前頭部のエリアをターゲットに定め、脳の表面に薄い電極パッドを設置する手術を行ったのです。
電極が正しく脳内の狙いどころに設置されたあとは、いよいよ電気刺激によるテストの開始です。
とはいえ強い電流を流すわけではなく、極めて弱い微弱電流で慎重に行います。
患者さんの頭には4枚の薄い電極パッドが設置されており、それぞれの電極にはいくつか刺激ポイント(コンタクト)が付いています。
研究者は組み合わせを変えながら様々なポイントに順番に電気刺激を与えては、その都度患者さんの気分や不安、注意力などの主観的な変化を細かく記録しました(患者さんにはどの設定か知らせないブラインド方式で行われました)。
その過程で驚くべき現象が起きました。
ある特定の場所(前頭極という額の奥のあたり)に刺激を与えた途端、TRD-1さんの表情が変わり、「気持ちがいい。不思議な感じだ。感情が溢れる…。これは喜びだ」と話しました。
彼は長い間、感じられなかった『喜び』の感情を突如思い出したのです。
この時刺激していたのは、先ほど異常が見つかったサリエンスネットワークに食い込んで縮小していたデフォルトモードネットワークという回路でした。