「命を救うことは称賛に値するが、それは人道のあらゆる原則や戦争の慣習に反する手段を正当化することにはならない。もしそれを許すなら、『戦争を短縮し、命を救う』という口実で、あらゆる想像可能な残虐行為が正当化されることになる」。

これは明らかに真実なのではないでしょうか?

そして、理性的で人道的な人々が、世代を超えて戦争の規範を発展させてきた理由も、まさにこれではないでしょうか?

大手マスメディアが政府の主張をなぞって原爆投下を称賛する一方で、著名な保守派たちは、原爆投下を「言語道断の戦争犯罪だ」と非難しました。

憲法学者で『ヒューマン・イベント』の創設者の一人であるフェリックス・モーリーは、広島の惨状に言及し、特に「33の学校が破壊され、数千人の子どもたちが閉じ込められた」ことの悲惨さを強調しました。

モーリーは同胞のアメリカ人に対し、自分たちの名の下に行われた行為を償うべきだと訴え、ドイツ人がナチス収容所で起こったことを直視するために送られたように、アメリカ人のグループを広島に派遣することを提案しました。

カトリックの司祭で『ザ・カトリック・ワールド』の編集長であり、旧右派の柱石であったジェームズ・ギリス神父もまた、この爆撃を「キリスト教文明と道徳法に対する最も強力な打撃」として非難しました。

保守派の『USニュース・アンド・ワールド・レポート』のオーナーであるデイビッド・ローレンスも長年、原爆を非難を続けました。

また、著名な保守派哲学者リチャード・ウィーバーは、

「カンザスやテキサスから来た若い兵士たちが、非軍事都市のドレスデンをホロコーストに変え、モンテ・カッシーノやニュルンベルクといった古代の聖域を粉砕し、広島と長崎に原子爆弾による絶滅をもたらした光景」に吐き気を催すほど嫌悪した、と書いています。

ウィーバーは、このような残虐行為を、「文明の基盤に深く敵対するもの」と見なしました。