図1の折れ線グラフは一貫して右肩上がりだが、1988年までは「地球寒冷化」の原因データとして、1999年以降は逆に「地球温暖化」の原因データとして使われてきたのである。この使い方自体に私は大きな疑問をもった。

二酸化炭素300ppmとは空気中の割合が0.03%

300ppmの二酸化炭素濃度というのは空気中のその割合が0.03%であることを意味するので、400ppmならば0.04%の濃度である。私は大気物理学に不案内なので、要するに図1からは二酸化炭素の空気中の濃度が上がることにより、「地球寒冷化」が進むと理解していたのが1988年までである。

1988年6月がターニングポイント

少しこの分野の歴史を学ぶと、1988年6月がターニングポイントであることを知る。なぜなら当時NASAに所属していたジェームス・ハンセンがアメリカ上院議会公聴会で、「地球温暖化」の警告をしたのが1988年6月だったからである。しかも図1の二酸化炭素急増データをその使って、ハンセンは真逆の主張をしたのである。

「地球寒冷化」論はどこに行ったか

それならば、1958年からの30年間、世界的な趨勢であった「地球寒冷化」論はどうなったのか。これについては誰しもが疑問に思うはずである。

図1で明らかなように、「地球寒冷化」が真剣に議論されていた1960年代から88年までも、地球全体では一貫して二酸化炭素濃度は増加していたのだから。何しろあの小松左京でさえも、1974年に「地球が冷える異常気象」を編集していた時代なのである。

前年に『日本沈没』を刊行していた小松は、「私たちの前にあらわれつつあるのは、『寒冷化』という、大環境システム全体に起こる変動の兆候である」(小松、1974:346)とのべて、飢餓や食料問題への世界的な対応を強調した。