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(前回:『コミュニティの創造的探求』の「縁、運、根」)

漱石の『草枕』冒頭に惹かれた

大学入試で文学部を選んだのは歴史が好きだったからという理由しかないのだが、2年生になる時に社会学を専攻しようと決めたのは、漱石の『草枕』(1929=1990)冒頭にある次の文章に強く惹かれていたからである。

「人の世・・・を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世・・・が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなし・・・・の国へ行くばかりだ。人でなし・・・・の国は人の世・・・よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ」

(傍点原文、同上:7 現代仮名に表記変え)

社会学が「住むに甲斐ある世」づくりに有効

そして「世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った」(同上:8)。

漱石は「住むに甲斐ある世」づくりに芸術家(画工、詩人)を位置づけたが、20歳の私は学習以前で未知の社会学こそがそれに役立つのではないかと想像した。

今風に言えば、それは生活の質(QOL)やWell-beingの水準の高さを意味するが、この信念は当たらずとも遠からずであり、結果的にその後50年間の研究テーマ(コミュニティ、地方創生、高齢化、少子化、児童虐待、社会資本主義など)を選択させた。

「環境」への視点

さらにいくつかの偶然が「環境」への視点を押し広げてくれた。福岡県の筑後地方で育ったからか、同じ県内の大牟田と筑豊での炭塵爆発などの炭鉱災害、および熊本県の水俣病には中学高校時代も関心があり、「鉱害」や「公害」の副読本を読んでもいた。

しかし、大学1年で社会学とは、「人間の共同生活の科学」であるという定義を知ってからは、環境全般へも目配りするようになった。なぜなら、「共同生活」を支える条件として、環境は有力な位置を占めるからである。

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