本書の全体に流れているのは、「歴史」、より正確には「歴史家」に対する痛烈な批判にほかならない。……単に学者が堕落したという現象にとどまらず、精神史的な変化がその背後に横たわっている。

たとえば戦後八十年とか、二十世紀といった長い年数にわたる経験を整理する物語を、日本社会に生きる人々が共有し、モラルの糧とする。その営みが、現代においてはすでに不可能になった。

段落を改変

生まれてから死ぬまで、一度も失敗せず、恥をかかない人なんていない。むしろそうした「マイナス」を、どう人生の中で糧になったとして位置づけ、語ることで共有するかが大事なのだが、なぜかいまそれが難しい。

それは歴史の消滅と、明白な関係がある。ただし過去をどう消滅させるかというメソッドが、ここ10年で急速に進化を遂げた。従来のやり方が新たに「洗練」されて、より無自覚にぼくらは歴史を忘れ出したのだと思う。

上の記事でも触れたように、戦後という時代には、歴史をかき消す方法は「過去との切断」だった。敗戦についても「俺じゃない奴らがやったこと」だとして、歴史の主体を自分から切り離すのが、定番のやり方だった。

歴史はあるんだけど、そこで描かれるのは「カンケーない他の奴らの話」とすることで、ネガティブなストーリーを受け入れやすくしていたのだ。だけどそれさえ最近は、怪しくなっている。

むしろ始めから歴史なんて描かずに、目の前の話題に「だけ」詳しいセンモンカを連れてくる。で、その現象が飽きられたらみんなで一斉に忘れて、「もうホットイシューじゃないネタは、どうでもいい」と放り出す。