なぜなら古典物理学の理論では、このモデルは成立しないからです。

電子のような荷電粒子が高速で運動した場合、そこからは電磁波が放射され、電子はたちまちエネルギーを失ってしまいます。これはマクスウェルの電磁気学から明らかにされている事実です。

そうなると電子は軌道を描いて惑星のように回り続けることはできず、たちまち原子核に墜落してしまうのです。

ラザフォードは実験結果からこれがかなり正しい原子の姿だと考えていましたが、本人を含めて当時は誰もそんな原子モデルが現実に成立するとは信じることができませんでした

こうした中、ラザフォードの研究室に新たなメンバーとして加わったのが、量子力学の最重要人物ニールス・ボーアです。

コペンハーゲン学派の開祖 ニールス・ボーアの登場

量子力学の歴史を語る上で欠かすことのできない人物がニールス・ボーアです。

彼はこの歴史物語の最後まで、アインシュタインと共に登場し続けることになります。

当時のボーアはJ・J・トムソンの研究室に所属していましたが、知り合いにラザフォードを紹介され、その人柄に惚れ込んでラザフォードの研究室へと移籍してきます。

「量子論に出会って衝撃を受けないものは、量子論がわかっていない」ニールス・ボーアの肖像
「量子論に出会って衝撃を受けないものは、量子論がわかっていない」ニールス・ボーアの肖像 / Credit:en.Wikipedia

ボーアは、ラザフォードの考えた原子核モデルはかなり現実に近いと考えていました

そして、原子核に電子が落ちないようにするためにはどうしたら良いかを考えはじめます。

そこでボーアが採用したのが、電子の軌道の量子化(飛び飛びの決まった値にだけ軌道が存在しているという考え方)でした。

電子は自由にどんな軌道でも回れるわけではなく、決まったエネルギー準位の軌道だけを回っていて、その軌道にあるときはエネルギー放射を行わないと仮定したのです。

これは実際はどうであれ、まずは実験結果と一致した法則を作り出すという、プランクと同様の手法でした。