そして、このとき放出されるエネルギーも、やはりプランクが発見したhνという量子で導くことができたのです。

水素の電子軌道。熱エネルギーで励起された電子が定常状態へ戻る(左)。線スペクトルの例(右)。
水素の電子軌道。熱エネルギーで励起された電子が定常状態へ戻る(左)。線スペクトルの例(右)。 / Credit:JabberWok,en.Wikipedia/九州大学 大学院理学研究院 物理学部門

ラザフォードの原子モデルには「電子が原子核へなぜ落ちないのか?」という疑問がありました。

しかしそれは、ボーアによって、電子には安定軌道があると証明され解決します

この原子モデルの確立というボーアの仕事は世界で高く評価され、彼はその功績により祖国デンマークのコペンハーゲンに自らの研究所を設立します。

それは後に、量子力学研究の重要拠点となり、世の研究者たちから「コペンハーゲン学派」と呼ばれることになるのです。

コペンハーゲン学派の拠点となったニールス・ボーア研究所
コペンハーゲン学派の拠点となったニールス・ボーア研究所 / Credit:Wikipedia Commons

研究所設立の翌年、1922年、ボーアは原子物理学におけるこれらの功績によってノーベル物理学賞を受賞します。

量子力学の世界は、こうして少しずつ開拓されていきました。

しかし、この時点では、まだプランク定数で表現される量子が一体なんなのか? 単なる計算の都合なのか、誰も説明することは出来ませんでした。

ボーア自身もなぜ原子内の電子にはエネルギー放射を行わない安定軌道があるのか? その理由を説明することは出来ませんでした。

なにより、まだこの時点では量子力学という言葉も生み出されてはいません。

実験結果と一致する理論(方程式)が少しずつ、発見されていくだけだったのです。

続き:歴史で学ぶ量子力学【改訂版・2】