例えば光をビリヤードの玉のような粒子として考えれば、振動数は玉を打ち出す強さということになります。だから弾かれて飛び出す電子の運動量は、振動数に応じて高くなります。

そして、明るくする(光量をあげる)ということは、光量子の数を増やしているだけだということになります。だから、光量を上げると飛び出す電子の数が増えるけれど、そもそも振動数が足りていなければ光量を上げても何も起こらないのです。

電子を追い出すために必要なエネルギーは金属ごとに異なり、飛び出す電子の運動エネルギーは閾値となる光量子の振動数から始まる直線になるはずだ。そして、そのとき描かれるグラフの傾きはプランク定数hになるだろう

それがアインシュタインの考えでした。

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Credit:物理のかぎしっぽ

ここでアインシュタインは、光電効果を説明するために、プランクが生み出した量子仮説を利用します。

それは見事に現象を説明していました。

しかし発表当時、光を粒子と捉えるこの理論に多くの物理学者は懐疑的でした

プランク自身さえ、アインシュタインの光量子に関する論文は素直に受け入れることはできなかったといいます。

アインシュタインは、現代においては偉大な物理学者ですが、当時はスイスの特許局に務める公務員で、仕事の傍ら論文投稿を行うアマチュア科学者でした。

彼の論文の完成度は高く評価されましたが、この時点では彼の主張を手放しで信用する人はいなかったのです。

しかし1921年、アインシュタインはこの光電効果の法則を発見した功績により、ノーベル物理学賞を受賞します。

アインシュタインは相対性理論でノーベル賞を受賞したと思われがちですが、ノーベル賞は基本的に同じ個人に対して一度だけ授与される賞のため、実は相対性理論で彼はノーベル賞をとっていないのです。

そう聞くと光電効果の法則の発見というのが、どれほど当時の学者たちにとって衝撃的なものだったのかイメージできるでしょう。