具体的に説明しよう。辻田氏の新著の第二章は「日本はどこで間違ったのか」と題するもので、「(アメリカによる対日石油全面禁輸を招いた)南部仏印への進駐を思いとどまれなかったのか」といった著名なifを複数検証した上で、「こうすれば戦争を回避できた」といった意見は多分に後知恵であり、当時の日本の指導者の立場から見ると、非現実的な選択肢であったと説く。「当時のひとびとを愚かだったと断じることは慎まなければならない」というのである。
だが、歴史の個々の局面における当事者たちの決断を、歴史の結果を知る後世の人間が後付けの理屈で「愚かだった」「狂気だった」と断罪するのではなく、当事者が決断するに至った「内在的な論理」を理解しようとする辻田氏のスタンスは、むしろ「実証主義」的な手法である。
一例を挙げておく。先月刊行された高杉洋平『帝国軍人 デモクラシーとの相克』(中公新書、2025年)は、昭和陸軍がなぜ戦争へと突き進んでしまったのかを、「狂信的」「暴走」といったレッテル貼りではなく、彼らの内在的論理から解き明かそうとする「実証主義」的な著作である。
前掲の南部仏印進駐問題について高杉氏は、アメリカが建国草創期から、モンロー政策(アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉)の伝統を有しており、現に満州事変の際にも日本を非難しつつ経済制裁は行わなかったことを指摘する。
そして「この点から考えれば、東南アジア問題、まして本国政府が既に降伏している仏領インドシナへの「平和」進駐に対して、米国がリスクを冒すことはないとの陸軍の判断自体は(間違いではあったが)、それほど不条理なものではない」と、南部仏印進駐がアメリカの激しい反発を招くことを予想できなかった陸軍に対して、一定の「理解」を示している。
辻田氏は言う。「歴史を振り返る意義は、過去を美化することでも、糾弾することでもない。重要なのは、なぜ当時の日本がそのような選択をしたのかを深く理解し、わがこととして捉え直し、現在につなげることにある」と。