同書冒頭で麻田氏は、史料を博捜してソ連が対日開戦を決定するまでの過程を詳細に復元する。日ソ交渉もさることながら、米ソの駆け引きが興味深い。アメリカは、原爆完成後はソ連の対日参戦を望まなくなったと一般には思われているが、実際にはジョージ・マーシャル陸軍参謀総長のように、ソ連参戦を以後も望んでいた要人は少なくなかった。トルーマン大統領も原爆だけに賭けることは避け、ソ連への参戦要請と日本への核攻撃の準備を最後まで並行して進めた。
なお、日本がポツダム宣言受諾を決断するに至る終戦過程の研究は、開戦過程の研究と並んで、日本の歴史学界では熱心に行われてきた。しかし先月刊行された波多野澄雄『日本終戦史1944-1945 和平工作から昭和天皇の「聖断」まで』(中公新書、2025年)が典型的であるように、「日本はなぜもっと早く降伏できなかったのか」という問題意識に基づいて、日本側の事情に焦点を当てるスタイルが一般的である。
『日ソ戦争』は米英ソ中の思惑にも注目しており、先月刊行された千々和泰明『誰が日本を降伏させたか』(PHP新書、2025年)もまた、この問題を深堀りしている。
さて『日ソ戦争』の白眉は、満洲・南樺太・千島列島での日ソの激闘を、新史料も活用して復元したことだろう。日本の指導者層はソ連の仲介による講和の実現という希望的観測にすがっていたため、ソ連をいたずらに刺激しないよう、ソ連との国境地帯にいる部隊が対ソ戦の具体的準備をすることを抑えていた。
さらに、大本営がソ連の対日参戦の可能性に目をつぶり、前線部隊を南方戦線や日本本土に引き抜き続けた結果、ソ連との戦力差は開く一方であった。このため、従来はソ連は奇襲的(あるいは騙し討ち的)に対日参戦するや否や、火力や機甲戦力を活かした包囲殲滅作戦によって日本軍に圧勝したと考えられてきたが、日本軍が激しく抵抗、善戦した戦線が少なくなかったことを同書は個別具体的に指摘している。