冷戦下で自民党は、1969年から5年連続で「靖国神社国家護持法案」を提出し、当時の世論の反発で毎回廃案になりました。

つまり、①靖国を「国の神社」に戻す案をまず譲り、②代わりに昭和天皇の参拝を求めたけど、いわゆる富田メモが示すとおり、本人に行く気がない。さらなる妥協案が、③中曽根康弘首相による「公式参拝」(1985年)でしたが、これも1回きり。

3度も譲ってきたんだから、公式でない「ふつうの参拝」くらい、首相がやってもいいでしょうというのが、今の状況ですよね。

日中の双方に「ここまで多くをそちらに譲ってきたのだから、せめてこれだけは……」という気持ちがある。どちらの心情もわかるがゆえに、危険な状況だと思います。

同頁(段落を改変)

最後の靖国神社法案の廃案は、1974年の6月である。翌月の参議院選挙で自民党は苦戦し、追加公認を入れても野党と4議席差の「保革伯仲」になる。首相は田中角栄だったが、インフレによる生活苦で衆院選に続く2連敗となり、指導力を失う姿は、いまの石破内閣にも似ている。

2024総選挙評: なにが「保革伯仲」を再来させたか|與那覇潤の論説Bistro
10月27日の総選挙は、予想外に劇的なものとなった。自民党は200議席を切り、公明党も大敗して、与党は過半数割れ(18議席の不足)。何度やっても似た結果だった平成末期と異なって、久しぶりに歴史に残る選挙になったと言ってよい。
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昭和天皇の「最後の靖国参拝」は、翌年の1975年だった。しかし78年10月、靖国神社がA級戦犯を合祀した結果、行く気をなくす。ちなみに75年は、フォード大統領の招きで、天皇・皇后が初めて訪米した年でもある。

米国が主導した裁判で「悪いのはこの人たち」という筋書きを作り、72年の国交回復で中国も乗った後、最も忠実にそのシナリオを演じた「国際社会のエージェント」は、昭和天皇だったのだ。