今月刊の『文藝春秋』9月号は、もちろん戦後80年特集。先崎彰容さん・辻田真佐憲さん・浜崎洋介さんと、3部構成の大座談会「令和の天皇論」に、ぼくも登壇している。

第1部の「昭和天皇と戦争」は、上記の動画で全編が見れる。第2部で東京裁判を論じ、第3部が「日本と天皇のこれから」となる。

大切なことだから、第2部のうち靖国問題についてぼくが提起した箇所を、抜き書いておく。

国際政治の観点では、東京裁判で最も重要なのは、その物語を裁判に加わっていない中華人民共和国も受け入れたことです。

当時、連合国に入っていたのは中華民国(現・台湾)の方ですから。1972年の日中国交正常化の際、中国としては「東京裁判での〝手打ち〟は、蔣介石が勝手にやったことだ」と突っぱねる選択肢もあったけど、国際社会で機能しているフィクションだからと乗ることにした。

つまり彼らの視点では、ここで大きな妥協をしている。A級戦犯を祀る靖国神社への首相の参拝を許容しないのも、あの時ずいぶん譲って「同じ物語」に乗ったのに、後から手のひらを返すのはダメだよと。

『文藝春秋』9月号、292頁

これを見落としてる人が多いんですよ。特に、抗議が来るたび「中国ガー!」と怒る人ね。まぁ、ぼくも教員時代に小菅信子先生の『戦後和解』をテキストにするまでは、気づいてなかったから、偉そうにできないけど。

なつかしい「理想の教科書」/與那覇潤
入江昭『日本の外交 明治維新から現代まで』 小菅信子『戦後和解 日本は〈過去〉か…

とはいえ、「ずいぶん譲った」のが相手の側だけでないことが、この問題の最大の難所だ。戦後日本の目線で見た姿を、ざっくり言えばこうなる。