もうすぐ80年目の「8.15」だが、悼む日を静かに迎えるには、あまりに政治の情勢が不穏だ。歴史を語るコメントを石破茂氏が出すのかも、彼がいつまで首相なのかもわからない。
確実なのはこの日、今後の政局含みで「これ見よがし」に靖国神社に参拝する政治家が続出することだ。次の自民党総裁がありえる人が、連立入りも想定される野党の人と、境内で立ち話して……みたいな「スクープ」もあるかもしれない。
これまた「はい的中!」としか言いようのない事態だけど、さすがに今回は(笑)をつける気分が起きず、ひたすら憂鬱である。
戦後80年の夏が近い。意外にもそれは、久しぶりに歴史が政治と噛みあって、大きな変化を起こす転機になるかもしれない。 (中 略) 次なる政権の選択と、戦後80年を迎える姿勢の当否が絡みあい、大きなハレーションを起こす可能性はゼロではない。
初出『表現者クライテリオン』5月号、122頁 (算用数字に改め、強調を付与)
しかし、80年も経って忘れかけてる人もいるのに、いまだに「戦死者ってどこで弔えばいいんですか」が決まってない国というのも、すごい話だ。どうして、こんなことになったのか。