カードには「私には住むところがありません。4人の兄弟がいます。職を探すために、また家族と一緒に生きるために、助けてください。もしあなたが優しい心をお持ちならば、できることすべてでどうかお恵みください。どうもありがとう。神のお恵みを!」と書いてあった。
ただ発車直前でもあり、会話する余裕はなく、1ユーロ(当時160円)を渡してしまった。
ルーアンのジャンヌダルク記念館では詐欺の被害を忘れた
特急列車が発車して、このカードを繰り返し読み、160円では職探しにも家族にも役に立たなかっただろうが、騙されたことに気がついた。
この2人組は始発から終電まで列車の外国人をカモにして、営業しているのであろう。これもまた、個人主義社会の現実かと考え込んだが、1時間20分の特急の旅は快適であり、ルーアンの史跡を堪能することができた。
個人主義は自力路線
パリでの経験から、「路頭に迷う」人を国の社会保障制度が救えない場合があり、家族・親族やコミュニティによる支援がなければ、その状態に陥った個人は「自力路線」で生き延びるしかないことを理解した。
日本では、長らく集団主義として家族・親族・企業・地域社会などからの個人への支援は程度の差はあっても当然とされてきたから、パリでの路上パフォーマンスは今の日本の大都市、東京でも横浜でも大阪でも見当たらない。
集団主義の文化
集団主義の中では、個人は絶えず周囲との人との距離を意識せざるを得ないから、「自己責任」は析出しにくく、「全体責任」に容易に転化する。
全体責任の一部をある時代まではコミュニティも担ってきたのだが、図2(左)と図2(右)を比較すれば分けるように、21世紀の現代においては個人にとっても第二次関係が大きくなり、第一次関係を軸とするコミュニティの部分は縮小してしまった。

図2 左:1955年 右:2005年(出典)金子、2011:6.