原武史さんの『日本政治思想史』の特徴のひとつは、平成を通じてあまり使われなくなった「超国家主義」の概念を、新たに論じなおしている点にある。それを踏まえた形で、対談では、ここに書いたような話をした。

プーチンもネタニヤフも、もちろんトランプも、これからの戦争で「核を使う」可能性は排除できない。そして幸いに使われなくても、相手の主権の存続すら認めずに終戦へと持ち込む「見えない原爆投下」としての、無条件降伏の思想には、終わりがない。

『潮』で活字になった部分のうち、それに触れた箇所を最後に掲げる。いまさら戦後80年、ではなく、「いまこそ戦後80年」なのだ。多くの人がもう一度、初心を忘れず考えてみるきっかけに、なってほしいと願う。

與那覇 令和になるや、トランプやプーチンが「それは国益になるのか?」と疑わしい決断を下しても、まさに国家を超えた存在のように指導者を神格化し、礼賛する支持者が溢れていますね。戦時下の日本での「国が滅ぼうが聖戦貫徹」のようなもので、超国家主義こそが他国にも見られる、グローバルな現象になっている。

原 とても面白い見方ですね。

與那覇 加藤さんもデビュー作の『アメリカの影』(講談社文芸文庫)に、戦う相手を「国としては対等な存在だ」と認めず、全否定して無条件降伏を強いる発想こそが「超国家主義的」だと書きました。ウクライナや中東の戦争で、いま同じ問題が出てきています。

『潮』2025年9月号、136頁

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年8月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。