加藤の「戦後再見」は、日本の無条件降伏を批判的に再検証するものだ。しかし1978年に江藤淳が提起した、「無条件で降伏したのは軍隊のみであり、国家としては無条件の降伏はしていない」といった議論ではない。
いちおう主権国家どうしは対等、というタテマエの世界で、他の国に「無条件で降伏しろ」(=主権を持つことをやめろ)と求めること自体が異常ではないだろうか? それが加藤の問いである。
実際に、米大統領ルーズベルトが枢軸国に「無条件降伏」を求める方針を決めると(1943年1月のカサブランカ会談)、ハルやアイゼンハワーといった外交や軍事の「専門家」は反対した。降伏したらなにをされるかわからない、という状況の下では、かえって相手は降伏しなくなるからだ。
一般には、第二次世界大戦は民主主義の連合国と、全体主義の枢軸国の戦争と見なされる。これに「連合国でも、ソ連は全体主義だろ」と絡む反論も昔からあるが、加藤は違った次元でより痛烈な批判を放つ。
「無条件降伏」は……戦争の ”局外者の存在を許さない” 全領域君臨の完成態であり、そのようなかたちをとった、国家の何の義務も伴わない、他国の国民主権の一方的侵害をも、意味したのである。
一言でいえば、無条件降伏とは、やはり全体主義的、かつ超国家主義的な思想である。
講談社文芸文庫版、186頁 (強調を追加)
ここで、WGIPを発見した江藤淳なら「そうだそうだ。アメリカこそ全体主義だ」と言い出しかねないが、加藤さんがさすがなのは、でも日本人も似たこと考えてましたよね、とすかさずフォローを入れることだ。