しかしそれでも、なぜルーズベルトが無条件降伏に固執したか、という謎は残る。その答えこそ「原子爆弾」だというのが、加藤の論旨だ。

ルーズベルトやチャーチルらが「原子爆弾の使用が国際法に抵触しないかどうか」を「調査したことを示す証拠」は公表されていない。

しかし米国のこの原子爆弾投下決定に深く関与した人物達のその後の動きは、何より彼らがこの人類史上かつてない規模をもった「火器」の使用に踏みきったことの政治的責任、また「道義的、倫理的」責任に深く捉えられていたことを示すように思う。 (中 略) ぼくには、無条件降伏政策は、途中で船長を失った船のように見える。

271・274頁(改行を追加)

通常の降伏では「さすがに原爆投下は戦争犯罪じゃないか」という声が、敗戦国から上がる恐れがある。その芽を事前に摘むために、相手国の主権を全否定する「超国家主義的な思想」として、無条件降伏は必要とされた。

ところが主導者のルーズベルトが途中で死んでしまい(1945年4月)、船長を失った結果、本来の文脈を忘れて、戦争では一方の力さえ強ければ「無条件降伏なるものがあり得る」とする概念の亡霊だけが、さまよい出た。

そしてその亡霊は、まさにいま徘徊している。