日中戦争でまだ日本がイケイケだった1938年1月、「国民政府を対手とせず」で有名な第一次近衛声明が出ている。蒋介石を主権国家中国の代表とは見なさない、という趣旨だが、いまならプーチンの「ゼレンスキーはもう大統領ではない」、ネタニヤフの「イラン国民は現政権を転覆せよ」と、言いたいことは同じだ。

加藤の調べた範囲では、日本の議会や外務省で、そんな方針は「国際法違反にならないか?」と問う批判は起きなかった。ということは、として、その論は日本がやり返される場面へと続く。

無条件降伏という政策が、その政策立案者の立場から見たより好ましい政権の樹立を目的とし、しかも、その目的達成のためには現政体の徹底的破壊が必要という判断に立って作られていることを考えれば、ここ〔近衛声明〕に現れているのは、それとそのようには違わない考えである。 (中 略) 近衛声明のこうした特異性に何の違和感も感じなかったぼく達が、その後、「無条件降伏」に出会い、これを自然に受けとめたのは、いってみれば当然のことだったのである。

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これまた、江藤なら「ルーズベルト(米国)はひどい」な話に持っていくところを、「おまえ(日本)もな」で返したわけ。これが、本物の批評です。勝てそうな相手にだけSNSでケンカを売り、「さすがセンモンカ!」と囃されてイイ気持ちなお子様には、一生書けないの。