短絡的に考えれば、地方を維持することによるコストが大きすぎるので、そんな無駄なお金を流すのではなく、消費減税などをして、こうした都市の生活に苦しんでいる層にもっとお金を流すべきだ、という議論には迫力があり、現に今回の参院選の結果も明らかにそういう流れになっている。

ただ、そうした都市の無党派浮動票層/流動的保守票を支える人たち、もしくはその親たちを産んできて育てて来たのは、実は日本の「各地」であり、あまり極端にその流れが進むと、それは天に唾する行為にも思える。

私見では、都市に全員が集住して、地域を切り捨てて、この国・社会が持続的に伸びていくとは思えない。ありたい日本の姿でもないと思う。経済的合理やコスパだけで考えると、大きなしっぺ返しを食うというのが私の基本的な考え・スタンスだ。「多極分散型社会の日本」、「各地にリーダー(始動者)や主導的企業が存在する日本」、がどのようにしたら構築できるか、我々、青山社中の旅は続く。

3. 終わりに

私は前回のメールマガジンのエッセイにおいて、政治は、しょせんは「分配」の話であり実は今の日本の危機の本質ではなくなっている、と勝手に喝破した。確かに、消費税をどうするとか、ガソリンの暫定税率をどうするかとか、年収の壁をどうするかなどの話は大切で大きなことだが、「分配」の割合の話であり、それで日本社会が本質的に大きく改善することは無いとみている。

実は外国人の問題も「分配」の話と見ることができる。社会や経済の維持や発展のため、どこまで外国人・外国企業の権利を認め、どこまで認めないかという話であり、それはすなわち「分配」だ。日本人や日本社会が大きく伸びている時代は、要すれはパイ全体が拡大すれば、実はさほど問題にはならない。

つまり、分配以上に大きな問題は、日本全体のパイが世界の中で総体的に縮んでしまっていることであり、ここをどうするかである。これは、実は、基本的には個々人や企業や各地が頑張るしかない話であり、政治ですぐにどうこうなる話ではない。