メディアで引っ張り凧となった庄司は、時評集『バクの飼主めざして』を、1973年に出している。いちどは本名(福田章二)でデビューしたのに創作をやめ、ほぼ10年間沈黙して過ごした体験を、庄司はこんな比喩で語る。

ぼくがたまたま十年間「文学的に」沈黙していたというのも、結果的に考えれば、このような一種の世代的「失語症」のハシリだったのではなかろうか、と。 (中 略) なんらかの知的な自己表現を行うには、その前提として、一定量の情報を習得することで伝統につながり、またその時代の全情報に対して自分の獲得しえた情報の相対的比重とその意味を知ることで、自分と社会との関係を把握する必要があると思われる。

ところが現代ではこれがどうもうまくいかないらしく、そこから、特に若い世代がその自己表現の方法を追求する場合に、どうしても鉛筆やペンでなく角材や鉄パイプを握りたくなるという衝動が或る普遍性を持って現われる、

講談社文庫版、31-2頁 初出は『朝日新聞』1969年8月23日 (段落を改変)

ペンネーム(庄司薫)で再デビューしてからは、ミリオンセラーを出し取材を受けまくる「饒舌家」になるわけだけど、ハルキストの人はここで「あっ!」となっても、おかしくないはずだ。

『風の歌を聴け』で、主人公いわく――

小さい頃、僕はひどく無口な少年だった。両親は心配して、僕を知り合いの精神科医の家に連れていった。 (中 略) 14歳になった春、信じられないことだが、まるで堰を切ったように僕は突然しゃべり始めた。何をしゃべったのかまるで覚えてはいないが、14年間のブランクを埋め合わせるかのように僕は三ヵ月かけてしゃべりまくり、7月の半ばにしゃべり終えると40度の熱を出して三日間学校を休んだ。