熱が引いた後、僕は結局のところ無口でもおしゃべりでもない平凡な少年になっていた。
講談社文庫版、28・32頁
川田氏に倣って作中の時間軸を復元すると、主人公(仮に、村上春樹の反映と見なそう)が突如饒舌になるのは、1963年の4月半ばだ。で、作品の舞台は1970年の8月だけど、両者に挟まる7年4か月は、あさま山荘事件から『風の歌を聴け』の公表までの期間に、だいたい等しい。
いま、英語で ”Hear The Wind Sing” を読む人には、知ったこっちゃないだろう。そうした海外の読者と同じように、村上文学に接する日本人も増えている。別に、なにも悪いことじゃない。
だけど、それは歴史を忘れている、ないしまだ見つけていないだけかもしれない。主人公が精神分析に通ったように、重すぎるトラウマほど自覚されていない分、探さなければ見つからず、現実への影響も深刻になりがちだ。
『倫理研究所紀要』で始めた連載「現代性の古典学」、2回目の今年(34号)は『バクの飼主めざして』を採り上げた。庄司薫から村上春樹へ、のほか、加藤典洋につながる別のルートにも、紙幅を割いている。
前も書いたように、歴史を書くことは、相手をケアする臨床に似ている。〈国〉なんて知らないよ、と言う人も、どこかの〈国〉で暮らす以上はその過去に巻き込まれて、自ずとなんらかの刻印を押されるだろう。

歴史を書くとき、ひとは社会をカウンセリングしている。|與那覇潤の論説Bistro
臨床心理士の東畑開人さんが、6/22の読売新聞に『江藤淳と加藤典洋』の書評を書いてくれた。いまは同紙のサイトで、全文が読める。
『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤著 【読売新聞】評・東畑開人(臨床心理士) 戦後史についての本であるけれども、それ以上の本だ。自分は歴史学者を廃業したと記す著 ...
『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤著 【読売新聞】評・東畑開人(臨床心理士) 戦後史についての本であるけれども、それ以上の本だ。自分は歴史学者を廃業したと記す著 ...