「生涯学習」の予算は潤沢だが、義務教育の4科目の現状は主要5科目の前には影が薄いまま推移してきている。だから、楽譜が読めない、健康知識や栄養知識を持っていない大人ばかりが量産され、そのまま高齢期を迎えることになる。

図4 生きがいの4分野 (出典)放送大学の講義で使ったテロップ
「得意」が自立を支える
ここで発見した「得意」とは、それまでの人生で一番長く携わってきた仕事や業種の延長にある知識や技術を指している。
たとえばタクシー運転手の人生であればクルマの運転、銀行員であったのなら簿記会計、中学校の英語教師で定年ならば、英語の教育というぐあいに、誰にも負けない「得意」がある。それを定年後に地元の町内会、シルバー人材センター、NPO、ボランティア活動などで活かすことを提言してきた。
そのような高齢者の活動が、通説となっていた「高齢者神話」の打破につながると考えたからである。
ボーボワール 『老い』(上巻)から
万国共通の「高齢者神話」の打破は、サルトルのパートナーであったボーボワールの『老い』(上・下)でのテーマでもあった。いくつか抜き書きを披露しておこう。
① 高齢者は実践ではなく、状態で定義される(上巻、意訳:252)。しかし、状況次第では実践者になれる。ボーボワールもまた続けて、「老人たちにとっては、それゆえ、何か従事することをみつけることがきわめて重要」(上巻:314)だとのべている。
② 「年取った者(金子注、高齢者)は消極的な態度に固まり、興味や好奇心に欠けている」(同上:269)。しかし、積極的好奇心を持ち、趣味、社会参加、得意に目覚めて活動する高齢者は増えてきた。これに関してもボーボワールは、「個人の知的水準が高ければ高いほど、彼の活動は豊かで変化にとんだ状態をつづける」(同上:314)とした。
③ 「老年は非(ノン)=労働であり、単なる消費である」(同上:319)。だからこそ、「自分の占めるべき場所」を自力でもしくは自治体や政府の配慮が重要になる。「非(ノン)=労働」は報酬を前提にしないので、得意な活動でも趣味娯楽そしてボランティア活動でも構わない。