この両国間の公式文書化回避の戦略は、トランプ政権の代名詞ともいえる外交スタイル、「ディール外交」と深く結びついている。「ディール」とは、必ずしも法的拘束力を持たない政治的・取引的な合意を指す。
しかし、これは米国側だけの都合ではない。相手国(英国、日本、EU)の実務家たちもまた、相互関税の根拠となる米国法の建付けと、トランプ大統領のスタンスを深く理解している。
すなわち、米国が「国家非常事態」にあると宣言している中で、もし相手国が両国間の公式な合意文書を要求すれば、それはトランプ大統領の法的リスクが高まり「顔をつぶす」行為と見なされ、結果的に関税が引き上げられるリスクが高まると認識しているのだ。
そのため、各国は、自国の経済的利益(関税回避や緩和)を短期的に優先するために、法的拘束力のない政治的な「ディール」という形を受け入れざるを得ないという、苦渋の現実的な選択をしていると言える。
日本側の赤沢亮正経済再生相が「文書化より迅速な関税引き下げを優先した」と説明したのも、まさにこの「ディール外交」に対応した結果である。
「無限ディール地獄」の構造
「ディール」は、いずれも法的拘束力を持たないがゆえに、「無限ディール地獄」ともいえる構造を生み出していく。
日本のサイクルは以下の通りである。
「相互関税」措置25%の通知 → 日本譲歩(投資・輸入拡大など) 大統領令で「相互関税」緩和、15%へ 米国側、四半期ごとに日本の譲歩履行状況を監視 日本の譲歩履行が不十分と判断 → 再「相互関税」(脅し) 追加譲歩(新たな投資・市場アクセス改善など) 再度ステップ2へ
ディールには両国間で一致義務や履行義務がないため、トランプ大統領側の気分次第でこのサイクルを何度でもループ可能なのだ。
まとめ
日米関税交渉において両国間の公式な合意文書が存在しない理由は、IEEPAに基づく大統領の広範な裁量権と、それに合致するトランプ政権の「ディール外交」という、米国側の明確な戦略にある。正式な合意文書は、「国家非常事態」の前提を崩し、大統領の権限を制約するリスクを孕むからだ。