クラスター分析を行うと以下のようになった。

クラスター分析
自分がどのように判断すべきか石破に答えがないのは、キリスト教福音派に対する批判にクリスチャンとして躊躇しているのが原因のように読み取れ、ぶつぶつと独り言を言っている印象そのままの結果になった。
それでも石破が「パレスチナ自決と日米同盟の軸」と「政治と信仰の軸」でイスラエルのガザ攻撃を考え、信仰について第三者的立ち位置を取れず、クリスチャン政治家としていかに振る舞うか検討しているのは分かった。
石破発言に立ち返って
参考資料を掲載したのは、解析結果と結論だけでなく原典を読んでもらいたいからだ。
形態素解析によってアウトプットされる統計データは客観性が高いが、データの解釈と、これを伝える言葉から主観性を完全に排除するのは難しい。
だが当記事で解釈した通りでなかったとしても、原典を読めば石破茂の精神性の中核にキリスト教の信仰があるのは間違いないと分かるはずだ。
また石破の祈りとは別に、彼の決断と行動は、キリスト教やプロテスタント、長老派といった宗教が教えるものとまったく同じとは言えない。したがって石破の言動をもって、これらを同一視して批判するのは慎みたい。
だが無関係ではない。これが当記事の結論である。
編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年7月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。