当時バルバドスでサトウキビ農園と搾汁工場を経営していた大地主のひとりは、「(奴隷は)買えば買うほど買う力が増す」と表現するほど効率のいい設備投資だったと日記につけていました。
この例はカリブ海に浮かぶジャマイカ島の実例ですが、同じ1779年には独立戦争の最中だったアメリカでは、農園経営はこれほど大勢の黒人を使っていなかったと考えるべき根拠があるでしょうか。
私はないと思います。むしろ、カリブ海に浮かぶ島々より広大な土地をひとりの農園主が所有していたケースが多かった分だけ、働かせている奴隷の人数も多かったのではないかと思います。
もうひとつ注目していただきたいのが、おそらく独立戦争当時のアメリカで最大の事業規模を持つビッグビジネスを切り盛りしていたのは、まだやっと端緒に就いたばかりの機械制大工場経営者ではなく、奴隷制大農園主だったはずだという事実です。
きびしい監視と、刷り込まれた固定観念
この頃のアメリカの製造業工場の大半は従業員規模で100人未満、ごくまれに200~300人の大規模製造業が育ち始めていた程度だったでしょう。アメリカのビッグビジネスは、圧倒的多数の奴隷に対して一握りの(多くの場合白人の)自由人が常時武器を携行して監視するというかたちで出発したのです。
次にご覧いただくのは、コンピューターグラフィックスの発展が可能にした、モノクロ写真に色を塗ることによって細部のデティールが浮かび上がってきた彩色写真2点です。
右側から見ていきましょう。ジョージア州アトランタと言えば、今では深南部最大のビジネス拠点都市ですが、南北戦争当時のまだ小さな田舎町だった頃の、のどかな商店街風景です。
のどかとは言っても、屋根のすぐ下の三角形の部分に大きく書きこまれた陶器やガラス器と一緒に奴隷も売っていたし、高額商品なので定価販売だけではなく、競売もしていたことが1階軒下の横長の看板で分かります。