左側の写真と引用はジョン・マクドナルド卿で、のちにアドルフ・ヒットラーが言ったこととほとんど同じアーリア人優越主義を唱えていました。

また、右はジョシュア・ハルデマンではなく、ニューヨークでテクノクラシー党を創設したハワード・スコットです。

彼は自分自身がエンジニアだったからでしょうが、「政治家も企業経営者も労働組合幹部も、みんなダメだから、国内でもっとも能力の高いエンジニアを元首にして、彼がエンジニアとしての能力順に重要閣僚を指名するような政治制度にしよう」と提唱してテクノクラシー・インクという政党を創設しました。

この「ありとあらゆる問題には技術的な解決策があるはずだ」と唱えた政党は、1933年というとんでもない閉塞感に覆われた時代風潮にも便乗して、一時はかなり人気を集めたようです。

好き好んで人種差別国家に移住する人たち

この党の創設当時からのメンバーで、カナダ人としてカナダ支部を切り盛りしていたのがジョシュア・ハルデマンで、彼はイーロン・マスクの母方の祖父に当たります。

技術万能主義、能力万能主義は往々にして人種差別主義の隠れ蓑になると申し上げましたが、このハルデマンが能力主義を人種差別と結びつけるタイプの典型で、あまりにも人種差別主義的言動がひどすぎて、結党以来の同志たちからも疎んじられ、新天地でやり直す気で移住した先が南アフリカでした。

まだアパルトヘイトが法律として確立されていたわけではありませんが、南アフリカは最上位がイギリス系白人、二番目に偉いのがアフリカンナーという旧オランダからの入植者たち、その下にインドからの移民、最底辺に黒人たちという人種差別が社会の隅々まで浸透していた国です。

当時の、そして1991年にマンデラ革命が成功してアパルトヘイトが廃止されるまでの南アフリカは、次の写真のようなことが日常茶飯事として起きる国でした。

黒人たちは突然なんの理由もなく、白人警官に獰猛な警察犬をけしかけられ、ズボンを噛みちぎられ足から血を流しながら「犬をけしかけないでください」とお願いするときにも「マイ・ボス(旦那様)」と呼びかけなければならないという卑屈な態度を強要されていたのです。