作曲家吉田正の業績評価

(1)人が独力で達成した偉大な業績は、その分野の権威、すなわち立ちふさがる大山脈に挑む地点から始まる。その意味で吉田メロディは、四七抜き短音階と長音階そして歩行のリズムを柱とした古賀メロディの存在抜きには成立しない。これを乗り越える作曲上の工夫はもちろんリズムも音域も吉田は革新して、独自の個性を手に入れ、その作品は今日まで輝いている。

(2)着実な仕事の遂行には息のあったパートナーが不可欠である。古賀と作詞家西條八十とが不可分なように、吉田の場合は、作詞家佐伯孝夫と宮川哲夫両者による時代を表現した詞の提供が不可欠だった。とりわけ佐伯孝夫が書き分けたジャンルの幅広さと表現の軽妙洒脱さとは、吉田メロディの可能性を広げて、数多くの名曲に結びついた。

佐伯孝夫の世界

早稲田大学仏文学教授西條八十の弟子であった作詞家佐伯孝夫は、文字通り追随を許さないプロの詩人であった。その特徴は吉田とのコンビの作品だけに限定しても、以下の10点が指摘できる。

高度成長時代を描いた吉田都会派メロディの源泉(「有楽町で逢いましょう」) 詩人の言葉の豊富さ(「南海の美少年」) カタカナ言葉と漢字で時代の都会風俗を的確に描写(「東京ナイトクラブ」) 軽妙洒脱の表現形式(「弁天小僧) 歌舞伎、歴史的事実に題材(「お嬢吉三) 時代ものと股旅ものの模範(「潮来笠」) 色が浮かんでくる作品世界(「青いセーター」「白い制服」) 対比、連鎖の妙(「東京午前三時」) 七五調で日本語リズムを完成(「哀愁の街に霧が降る) 女心と男心の機微を書き分けた(「再会」)

作詞家と作曲家のコンビ

これほど豊かな世界を歌で表現した作詞家は、佐伯本人とその恩師である西條八十、阿久悠、なかにし礼だけであろう。そして古賀政男と西條八十、佐伯孝夫と吉田正のゴールデンコンビは日本歌謡曲の世界では別格であった。また阿久と三木たかし(「津軽海峡・冬景色」、「北の蛍」)、阿久と大野克夫(「勝手にしやがれ」、「love抱きしめたい」)などの佳品があげられる。なかにしでは浜圭介(「石狩挽歌」、「舟歌」)という名品がある。

同じレベルのライバルの刺激が有効