(3)仕事の質を高い水準で維持するには、同じレベルのライバルの刺激が有効である。代表的には「高校三年生」に代表される遠藤実の作品群は、「美しい十代」をはじめとする吉田青春歌謡作品の質と量を極限まで押し上げた。団塊世代の歌の宝物の大半は二人の作曲による。
(4)仕事の成果を正確に発表するには、それにふさわしい人材が必要である。吉田は既成の歌手を避けて、新人をたくさん発掘して、短期間で大スターに育てあげた。それぞれの個性に合った作品を提供したからであるが、もちろん至難の業である。
(5)時代を疾走する勢いには限りがある。一人ないしは一分野での独走はせいぜい3年しかありえない。しかし吉田メロディは5つの分野に広がりをもっていたので、全体としては15年もの長期にわたって、高度成長期の歌謡曲世界を席巻した。私もコミュニティ、地方創生、少子化、高齢化、社会資本主義という5つの分野を手掛けてはみたものの、吉田の世界には程遠かった。
親密な協力者の存在
(6)大きな仕事には親密な協力者が存在する。吉田メロディの完成に喜代子夫人の協力は不可欠であった。書きなぐった楽譜の清書、ひっきりなしの来客への応対、吉田への面会希望者の許諾判断、健康管理、自宅でレッスンする歌手の世話、レコード会社との交渉など、夫人の功績は多岐にわたる。
このような時代を彩った歌謡曲の背景にまで目配りすると、音楽文化創造の奥深さがそれまで以上に楽しめる。正統派の社会学の研究ではないが、30年抱えてきた問題意識を『吉田正』で検証できたことはおおいなる喜びとなった。
最終的には日本社会論の一翼を担う
学問論としても音楽社会学的研究の大きな課題が最終的には日本社会論にあるならば、「歌謡曲の中には、今の日本人の音楽に関する欲求、反応、創造性などが、最も端的に現われている」(小泉、1980:83)のだから、都市化という社会的文脈のなかにおける歌謡曲の研究が、それにより適合するはずである。