ピアノの上にはビクターのヒット賞としての犬のトロフィが置かれ、合計で204個あった。吉田の生涯作曲数は2400曲なので、実に8.5%のヒット率になる。普通は150曲出して1曲のヒット(0.67%)と言われる業界で、このヒット曲率は驚異的であった。

構想と執筆

さて、構想と執筆だが、まず冒頭には吉田の生涯を要約して、残りの各論ではこだわりの大原則を作った。それは、従来の作曲家の「評伝」の大半が、作曲された音楽面の分析は省略して、作詞家による詞の世界のみを取り上げてきたことに、真っ向から異論を唱えることであった。

歌詞の分析だけでは歌謡曲論になりえない

なぜなら、歌がヒットとしたのは、国民がその歌詞を朗読したからではなく、メロディを覚えるためにレコードやCDを購入し、歌ったからである。だから、作詞面だけを取り上げて歌謡曲を論じることは、作曲家に失礼であろうと考えたのである。

たとえば古賀メロディの集約ともいうべき「誰か故郷を想わざる」(1940年)を論じる場合、西條八十が書いた詞の部分のみを論じるような歌謡曲本は、当時も今もあふれているが、それでは「音楽社会学」にはなりえないという判断を最優先したのである。

執筆の5原則

具体的に取りかかってからは、これ以外に5つの執筆原則ができた。

誰も書いてない内容を自分で書き、第一読者になりたい。 時代を記録することの意義を歌謡曲に託する。 時代を独走するにはイノベーションが必要である。 目標とライバルの存在が大きな仕事を達成させる。 吉田メロディで、少年時代から青春時代を振り返る回想法の実践をする。

という骨格が見えてきて、6ヶ月ほどで脱稿し、刊行は2010年1月10日になった。

幸い6月10日に帝国ホテルで開かれた「吉田正13回忌」の集まりに間に合い、参会者400名に記念品として喜代子夫人が配布された。そしてありがたいことに、そこに私も招待され、中学生の頃からのファンであった吉永小百合、橋幸夫、五木ひろし、三田明さんたちに紹介していただけて、それぞれのツーショットの記念写真が得られ、それらは宝物になっている。

楽譜の分析を行う