先行する吉川弘文館の歴史シリーズよりもミネルヴァ書房の「日本評伝選」は、たとえば力道山までも含む多様なジャンルがあるのに、歌謡曲作曲家の評伝が皆無なのは残念だと思っていたからである。そうしたら、半月後に作曲家ならば誰を候補にしたらよいか、できればそのプランを出してほしいという連絡がきた。

4人を推薦

「日本評伝選」では生存者は除くというのが大原則なので、すぐに古賀政男、古関裕而、服部良一、吉田正の4名を推薦した。今であれば、遠藤実と船村徹も含めるであろう。

1週間後に、社長からよければ古賀と吉田を取りあえず候補としたいと連絡があり、両者を受けもてるかと尋ねられた。能力的にも時間的にもそれは無理なので、『吉田正』は引き受けて、古賀政男は別の音楽理論家を紹介した。執筆は引き受けていただけたが、15年経過しても『古賀政男』は刊行されていない。

詞とメロディを均等に論じるという大原則

さて、新書ではなく「評伝選」で刊行するのであるから、できるだけ本格物にしようと構想した。まずは吉田正喜代子夫人に挨拶に行き、ビクターの重役と吉田事務所長が同席されたなかで、「日本評伝選」の1冊として『吉田正』を刊行させていただきたいとお願いした。喜代子夫人は大変喜ばれて、できるだけ協力すると回答され、吉田事務所が保有する全資料の閲覧を認めていただき、すべての写真は自由に使って構わないというありがたいお話になった。

それから数回ご自宅(写真1)を訪問して、執筆の途中経過を報告したり、いくつかの質問に答えていただいた。

写真1 吉田正自宅の門と玄関

また、吉田が作曲と歌手の練習に使ったピアノなどにも触れることができた(写真2)。ピアノは現在日立市の吉田正音楽記念館に移されているが、自宅は喜代子夫人がお亡くなりになった後で、売りに出され、同じ敷地に数軒の住宅が建てられている。

写真2 吉田正愛用のピアノ

このピアノ伴奏で、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、マヒナスターズ、橋幸夫、吉永小百合、三田明、久保浩、古都清乃などのスター歌手が、レコード吹き込み前の練習をしたかと思うと、感無量になった。