エリアスはモーツァルトを論じながら、「他の人々の作品は忘れられて影の世界に沈んでしまうのに、特定の人の作品が何世代にもわたる選別過程を経て、しだいに社会的に評価される芸術作品となっていくのは、どのような形態特質によるのであろうか」(同上:55)という問題を提出していた。「芸術作品の評価基準」は、その社会と時代の特性によって変化する部分とそれらを超越する部分が共存する。

当時私もエリアスと同じ問題意識を共有しており、研究対象をクラシック音楽ではなく、日本大衆音楽とりわけ歌謡曲に限定し、さらに日本社会全体で都市化が始まる高度成長前期の時代のヒット曲に局限しても、音楽作品がなぜ残るかは解明できるはずだと考えたのである。

個性が評価されて、作品が残る

伝記から分かるように吉田は、自分の前に聳え立つ大山脈として、表1に示した「四七抜き短音階」と「長音階」からなる古賀メロディに象徴される日本歌謡曲の音階を乗り越えるべく、苦労の末「都会派メロディ」を完成した。楽曲面からみると、吉田メロディとは「和声短音階(G♯)」と「旋律的短音階(F♯とG♯)」およびブルースのリズムに大きな特色をもつことが分かった。これは画期的なイノベーションであった。

たとえば古賀の「ゲイシャ・ワルツ」(1952年)と吉田の「再会」(1960年)はともにワルツではあるが、歌った感じも聞いた印象も極めて異質であると感じるであろう。

すなわち、「本来の『作曲家』とは、即ち個性をもった作品を提供しうる作曲家である」(ウェーバー、前掲書:181)。その個性の存在は大作曲家古賀にも古関にも吉田にも、そしてもちろん個性の重要性は社会学者にも当てはまる。

日本評伝選(ミネルヴァ書房)に取り上げられた

前回(7月20日)紹介した『社会分析』を準備していた2008年頃に、いつも私の本を担当しておられるミネルヴァ書房編集部の田引氏に、次作の構想として「作曲家吉田正」を話したことがある。これも一つの縁であろう。