その後ハーシェルは、メシエカタログを手に入れて同様に星雲の観測も行い、メシエを超える数千もの星雲を発見することになります。

このとき、彼は星雲の中には1つだけ星の輝きと思えるものが見つかることに気づきます。そしてこの発見から星雲とは宇宙で塵などが集まった雲であり、1つの星雲からは1つの星が生まれてくるのだと考えました。

現代でも星雲(分子雲)が星の種であり、これが重力的に集まることで恒星が誕生すると考えられています。

そのため、ハーシェルは18世紀の人物でありながら、かなり現在の理論に近い形で宇宙を理解していたと言えるでしょう。

しかし、彼の考えでは星雲はすべて天の川銀河の中にあり、その外には天体はないだろうと考えていました。彼は天の川銀河が宇宙で唯一無二の銀河だと信じていたのです。

一方、18世紀ドイツの哲学者イマニュエル・カントは宇宙には天の川銀河に匹敵する巨大な銀河がいくつもあると考えていました。

ドイツの哲学者イマニュエル・カント。
ドイツの哲学者イマニュエル・カント。 / Credit:wikimedia commons

このとき彼は銀河のことを「島宇宙」と表現し、天の川も島宇宙の1つであり、星雲とは天の川の外に浮かぶ他の島宇宙なのだと主張したのです。

その根拠としてカントは、星雲のスケッチの多くが楕円形になることを上げました。天の川銀河はパンケーキ型の円盤をしています。これを斜めに見れば楕円に見えるはずです。

そして霧や雲のように見えるのは、その距離が想像を絶するほど遠いため、大量の星の光が滲んでいるからだと説明したのです。

これは現代の知識から見れば銀河に対する非常に正しい解釈です。

ただ、こうした考え方をカントができたのは、観測事実によるものではなく、彼の神学的な信念が関係していました。

カントは神がこの宇宙にたった1つの銀河しか作らなかったとは考えられなかったのです。宇宙は無限であり巨大な銀河も宇宙には無数に浮かんでいる。それがカントの考える神の作りし世界の姿だったのです。