ダービーマッチの様相が変化し始めるのは、1990年代末から2000年代初頭にかけてだ。この時期、Jリーグの人気は安定期に入り、各クラブのサポーターは単なるファンから、ゴール裏を中心に組織化された巨大な集団へと変貌を遂げていった。このサポーターの「組織化」と「巨大化」が、対立を先鋭化させる最初のターニングポイントとなる。
特に、浦和レッズのゴール裏が生み出す熱狂的な応援スタイルは、Jリーグ全体に大きな影響を与えた。大旗が林立し、スタジアム全体が揺れるほどの声量で歌い続けるその姿は「世界基準の応援」として多くのメディアに取り上げられ、他クラブのサポーターも追随した。
1990年代後半からJリーグの覇権を争った清水エスパルスとジュビロ磐田による「静岡ダービー」もサポーターの変質の1つのきっかけを与えた。サッカー王国としてのプライドだけでなく、リーグ優勝という目標が懸かったことで、ライバル意識は健全な範囲を超え、敵対心へと変わっていった。横断幕による挑発や、試合後の小競り合いが見られるようになった。
なぜそうなったのか。それは、サポーター組織の巨大化が集団心理を増幅させ、「相手に負けたくない」という思いが、応援の統率や純粋な声援よりも、相手を威嚇・圧倒することにプライオリティを置く一部のグループを生み出してしまったからだ。しかしその後、磐田は毎シーズンのように優勝争いする常勝軍団となる一方、清水は長い低迷期を迎え、皮肉にもその実力差ゆえに、サポーター同士の対立も次第に落ち着いていったと考えられる。

「フーリガン」の影(2000年代以降)
2000年代に入ると、ネットの普及により、サポーターは海外のサッカー文化、特に「ウルトラス」と呼ばれる欧州の熱狂的なサポーター集団や、暴力的な側面を持つ「フーリガン」の存在を知ることになる。これが、対立をさらに過激化させる2つ目のターニングポイントだ。一部のサポーターグループが、発煙筒を焚く、過激な横断幕を掲げる、集団で相手サポーターを威嚇するなどといったフーリガンのスタイルを、いわば“ファッション”として模倣し始める。