創価学会は、この層に「現世利益」を説き、強力な相互扶助のネットワークを提供することで、彼らの「受け皿」となった。座談会などの活動を通じて、都市に「新しい村」とも言うべき共同体を再構築し、孤独な個人を組織化していったのである。この支持基盤は、同じく都市の労働者や貧困層をターゲットとしていた共産党と競合し、激しい対立を生んだ。

第二節:参政党が惹きつける「新しい中間層の不安」

では、現代の参政党支持者は、かつての創価学会支持者と同じなのだろうか。類似点と同時に、決定的な相違点が存在する。

参政党の支持者もまた、既存の共同体や政党から疎外された孤独な個人である点は共通している。彼らもまた、グローバル化や経済停滞の中で「何かを奪われている」という漠然とした喪失感を抱えている。参政党が提供する「学びの場」や地方組織の活動は、新たな繋がりを求める人々にとって、かつての創価学会が提供した「村」のような機能を持っている側面がある。

しかし、その社会経済的属性は異なる。参政党の支持者は、必ずしも経済的な「下層」ではない。SRA地域科学研究所の分析では「40〜50代の女性が多い」とされ、むしろ一定の教育を受け、スマホを使いこなす「中間層」が中心であるように見受けられる。

彼らの不安は、明日のパンに困るという経済的な貧困よりも、「食の安全」「子供の教育」「健康」といった、生活の質や将来に関わる、よりスピリチュアルで文化的な不安である。

創価学会が「経済的な救済」を約束する共同体であったとすれば、参政党は「情報と物語による精神的な救済」を提供するプラットフォームと言える。彼らは、既存メディアが伝えない「真実」を学び、国を取り戻すという「物語」を共有することで、自らの不安を解消し、アイデンティティを確立しようとしているのである。

この点で、両者は似て非なる存在であり、参政党は現代日本が抱える新しい形の「不安」を映し出す鏡となっている。

第5章:イデオロギーと現実──党と支持者の乖離