参政党という現象を立体的に理解するには、「れいわ新選組」との比較が不可欠だ。
一見、左右の極に位置する両党だが、その骨格を分析すると、同じ「反エスタブリッシュメント・ポピュリズム」というコインの裏表であることが分かる。
第一節:驚くべき戦術と経済政策のシンクロ両党の戦術は酷似している。カリスマ的リーダーへの依存、明確な「敵」の設定、SNSと街頭演説の両輪、そして熱狂的なボランティア組織。経済政策においても、共にMMT(現代貨幣理論)に近い積極財政を掲げ、奇妙なほど響き合っている。
第二節:なぜ右と左に分岐したのか──「喪失の物語」と「党名の矛盾」同じ水源から出発しながら、なぜ二つの流れに分岐したのか。第一の理由は「何を奪われたのか」という「喪失の物語」の違いである。
れいわ新選組の物語:「経済的な豊かさと尊厳」を奪われた物語。救済は国家による「再分配」であり、必然的に左派へ向かう。 参政党の物語:「精神的な誇りと共同体」を奪われた物語。救済は「伝統復興」と「外部からの防衛」であり、必然的に右派へ向かう。
そして、この分岐を決定的にしたのが、第二の要因、すなわちれいわ新選組の党名そのものに横たわる、歴史的な「矛盾」である。
「れいわ」という元号を冠するその党名は、一見、保守的で、伝統を重んじる姿勢を示唆する。山本代表が、園遊会で天皇に手紙を渡した行為は、かつての直訴を思わせる。しかし、それに続く「新選組」という言葉は、歴史や伝統を重んじる層、特に「皇統の維持」や「国体」といった概念に強いこだわりを持つ層にとって、深刻な違和感をもたらす。
「新選組」は、幕末の京都で、徳川幕府のために、反幕府勢力、すなわち「尊王攘夷」を掲げる志士たちを、容赦なく斬り捨てた武装警察組織である。彼らの忠誠はあくまで「徳川将軍家」に向けられていた。そして、戊辰戦争の最終局面において、彼らは天皇の軍を示す「錦の御旗」を掲げた新政府軍と戦い、「朝敵(ちょうてき)」、つまり天皇の敵と見なされた存在である。